母国に金メダルをもたらす? フィリピン体操界のエース、カルロス・ユーロ選手の数奇な二人三脚

カルロス・ユーロ選手

カルロス・ユーロ選手(写真:AP/アフロ)

コロナ禍のオリパラを考える【選手インタビュー】

東京オリンピックの後に、超有名人になっているかもしれない、そんな方にインタビューをすることができました!
WEB連載「コロナ禍のオリパラを考える」の中で、東京オリンピック・パラリンピックに出場する選手の声も紹介したいと思っていました。
リサーチをする中で、その存在を知ったのが、カルロス・ユーロ選手です。

フィリピンのマニラ生まれ。
得意種目はゆかと跳馬。東京オリンピックの出場権をすでに得ています。

でも、オリンピックの体操でフィリピンってあまり聞かないですよね?
男子体操の強豪といえば、アメリカ、ロシア、中国あたり。あとはヨーロッパの国?
そんな感想を持つ方が多いのではないかと思います。

なぜ、彼はオリンピックに出場することになり、メダル候補とまでなったのか?
その経緯も含めて、オリンピックへの思いを紹介していきたいと思います。

オンラインで取材させていただきました。

オンラインで取材させていただきました。

バク転の得意な少年

2000年2月生まれのカルロス・ユーロ選手は、マニラの中心部で育ちました。近所の遊び場だったリーサルスポーツメモリアルコンプレックスで体操選手を見て育ち、自然とバク転などをこなすようになります。
実は、体格的にフィリピン人は体操に向いているという意見もあるようです。ユーロ選手も小柄で、バネのあるガッシリした体躯。天性の素質にも恵まれていたのでしょう。

フィリピンの体操の代表選手たちの指導のために、日本人コーチとして釘宮宗大コーチがやってきたのが2013年。この時がユーロ選手と釘宮コーチの出会いでした。

ユーロ選手はこの頃のことを、こう振り返ります。
「釘宮コーチがフィリピンに来る前に、日本に招いてもらって池谷体操クラブで合宿をさせてもらったことがあります。でも、そのころは何もできないという思いが強くて、恥ずかしくて、練習もできませんでした。釘宮コーチがフィリピンに来てからは基礎練習が増えて、鍛えられました」

釘宮コーチは、当初のユーロ選手の感想を次のように書き残しています。

驚いたことにフィリピンではジュニア指導が皆無。
そんな環境なのに、ゆかで3回ひねりといった高難度の技を持っているのがカルロス・ユーロ。
これは彼のセンスとしか言いようがない。

一方で、技ができない時、疲れた時には自分の殻に閉じこもってしまう。
ゆか以外の種目はできず、倒立は止まらない。
柔軟性・体力・筋力も乏しい。パフォーマンス以前の問題だ。

ただし、この環境でここまでできるジュニア選手をあまり見たことがない。
試合が終わったら「ハードに鍛えてくれ、強くなりたい」と申し出てくる。
世界の舞台で競いたいとも言う。おーおーやってやろうではないか!

(釘宮コーチご自身の日記より)

当時の釘宮コーチの奮闘が伝わってきます。

釘宮コーチ カルロス・ユーロ選手

釘宮コーチ(写真前列中央)にご提供いただいた写真です。フィリピン赴任当初、祝日に練習する文化はなかったそうです。2014年6月のこの日は独立記念日。祝日に初めて、任意で集まったメンバーとトレーニングを行い、記念写真を撮ったとのこと。前列左端にカルロス・ユーロ選手の顔も見えます(於:ナショナルトレーニングセンター)

その後のトレーニングを経て、2015年9月に日本で開催された「国際ジュニア体操競技大会」(横浜文化体育館)に出場すると、ユーロ選手は跳馬で3位になりました。
きちんとした指導を受けることもなかったユーロ選手。2年間の指導で、国際大会の3位に入ったのですから驚きです。
しかし、このフィリピンでの子弟関係は、なんと!
翌年には終了することになります。

さまざまな支援を得て日本へ留学

2016年、釘宮コーチは日本に帰国することになります。
その際に、日本体操協会やフィリピン体操協会、JOC(日本オリンピック委員会)の協力や支援を得て、ユーロ選手を日本に留学生として迎え入れ、練習環境も整える手配をしました。
住む場所は釘宮コーチが借りるマンションです。コーチと選手の共同生活の始まりでした。
ユーロ選手は日本へ行った経験もあり、日本が好きでした。コーチの家に転がり込んで、日本に住むことにワクワクしたかもしれません。
でも、両親は大変な思いをしたのではないかと思います。この点について尋ねてみると、
「両親は日本に行くプランについて、すごく驚き、子供を手元から離すことに恐怖も感じていたみたいです。慣れるまでに何ヶ月もかかると思っていたようだけど、実際は一週間で慣れたそうです(笑)」とのこと。
いろいろ心配したけれど、実際に子供を送り出してみたら、元気に頑張っている様子が感じられて安心したのでしょう。非常にリアルでおかしかったです。

とはいえ、ユーロ選手にとっての日本での生活は決して平坦ではありませんでした。
文化や習慣の違いが大きくて、慣れるのに非常に時間がかかったそうです。
体操の練習についても、文化・コミュニケーションの違いで戸惑い、日本の考え方に合わせて行くのに時間がかかったとのこと。孤独も感じ、いつも迷っていたそうです。

2017年に取材・制作されたNHKの番組内では、ユーロ選手と釘宮コーチの奮闘が描かれています。
毎日を同じ場所で二人で暮らす。でも文化的な背景は違う。その中で目指しているのは世界大会での成功。
お互いに通じない部分を感じつつ、お互いに深く信頼もしていた。そういう関係だったのではないかと思います。

カルロス・ユーロ選手は東京・板橋の帝京高校に通いました

カルロス・ユーロ選手は東京・板橋の帝京高校に通いました

釘宮コーチという人、そして日本の体操界

ここまでを読まれると、いったい釘宮コーチって何者? と思われる方は多いと思います。
釘宮コーチは、岩手県の出身。中学生のときに体操を始め、高校のときに東北大会の個人総合で優勝しています。大学は体操の名門・順天堂大学に進みましたが、大学院生のときに大会で負傷し、引退。
その後指導者の道を志していた時に、日本体操協会から海外での指導を勧められます。
こうして、
・2012年から2013年はスリランカで指導
・2013年から2016年はフィリピンで指導
というキャリアを歩むことになります。2行で書いていますが、すごいことですよ!!
スリランカでは、卒業した順天堂大学から使い古した道具を送ってもらいました。
フィリピンは、スリランカに比べればまだよかったものの、洪水で体育館の床上まで浸水したり、ゆかの設備が国際基準とはかけ離れていたり、ありとあらゆる点で日本とは違いました。
体操への熱意と同時に、こうした海外経験があったからこそ、ユーロ選手との共同生活を始められたのかもしれません。
同時に日本の体操はやはり世界一なんでしょう。フィリピンから来た選手をきちんと迎え入れる日本体操協会の度量も素晴らしいと思います。ほかの競技だと、ここまで出来ないのではないでしょうか。

カルロス・ユーロ選手の練習の拠点の一つ、東京・北区の味の素ナショナルトレーニングセンター

カルロス・ユーロ選手の練習の拠点の一つ、東京・北区の味の素ナショナルトレーニングセンター

世界レベルでの躍進

その後のユーロ選手の活躍は「ジュニア大会の跳馬で3位」のような枠から、はるかに飛躍していきます。
2018年にドーハで行われた体操の世界選手権のゆかで3位。この時の2位は日本の白井健三選手でした。
そして、2019年にシュツットガルトで行われた世界選手権ではゆかで優勝を遂げます。

また、この大会で個人総合で10位に入り、東京オリンピックの出場権も得たのです。
釘宮コーチがフィリピンに赴く前までは、十分な指導を受けることもなかったユーロ選手。しかし、その5年後には世界選手権で銅メダル、翌年には金メダルを獲り東京オリンピック出場決定!?
すごすぎますよね?

この一連の流れを振り返ってもらったところ、
「2018年の銅メダルは、その先につながりました。正直、メダル取れるとは思ってなかったので、その時はラッキー!と思いましたが、後から振り返ると、その後につながりました」
とのこと。ユーロ選手の中で、大会ごとのストーリーがあるようです。
「2019年の世界選手権の際は、前年にメダルを獲っていたこともあり、自分もメダル候補と考えて臨みました。とはいえ、金メダルは予想していなくて、すごくうれしかったですし、泣きそうでした。釘宮コーチも泣いていたので」

跳馬

ユーロ選手は跳馬やゆかを得意としています

2019年には、母国フィリピンで行われた東南アジア競技大会の体操・個人総合で優勝したこともあり、フィリピンではユーロ選手は一躍有名人となりました。
「世界選手権で優勝した時は、SNSで自分の名前が出て来たりして驚きました。東南アジア競技大会でも、自分の演技を見せることができてよかったです。自分がいろいろなメディアで取り上げてられて、マニー・パッキャオになったかのような気分でした」
マニー・パッキャオはボクシングの6階級制覇王者を成し遂げた現・フィリピン上院議員ですから、母国での人気の凄まじさがわかります。
母国開催の東南アジア競技会の映像を見ると、ユーロ選手の技ごとに体育館に歓声と悲鳴が響きわたっています。うれしいのと同時にプレッシャーではなかったのでしょうか?
「始まる前はすごく緊張していましたが、次第にほぐれていって、気持ちよく演技できました。優勝もできてハッピーでした。地元開催だったので、両親も誇りに思ってくれたと思います」

カルロス・ユーロ選手と、帝京大学出身のトレーナー・金野純平さん

釘宮コーチにご提供いただいた写真です。「2019年にモンゴルで行われたアジア体操競技選手権大会に参加した際は、行きのフライトが天候不良でキャンセルになりました。成田で仕切り直しにウナギを食べているところです」とのこと。カルロス・ユーロ選手と、帝京大学出身のトレーナー・金野純平さんです。国際大会の舞台裏を感じる写真です。

2020年のコロナ禍

13歳の頃に釘宮コーチと出会い、16歳で日本に移り住み、18歳で世界選手権銅メダル、19歳で金メダル・オリンピック出場権。。。。
経歴だけを振り返れば順調なようですが、あまりに数奇な経緯を経てきたカルロス・ユーロ選手。そして、オリンピックの直前にコロナ感染症の世界的流行にぶつかってしまいました。
「練習場だった体育館も閉鎖になりましたし、学校に通えない期間もありました。体育館でのトレーニングもできず、通学もない。生活が一変した感じでした。家での練習が増え、ランニングなどのトレーニングが増えました」
ただし、マイナス面ばかりでもなかったようです。
「オリンピックが延期になったことは、嬉しいことではないですが、自分を見つめる時間が増えたように思います。その分、自分を知る機会になったと思います」

ユーロ選手が高校卒業後に進んだのは、帝京大学短期大学です。広報の方の話でも、ユーロ選手がひとり、もの思いにふける姿を見かけたとのこと。

帝京大学八王子キャンパスには、見晴らしのよい特等席のような場所も作られています。キャンパスからは富士山も見ることができます

帝京大学八王子キャンパスには、見晴らしのよいスペースも作られています。キャンパスからは富士山も見ることができます

東京オリンピックの意味

カルロス・ユーロ選手の競技を伝える動画を見ていると、この記事の冒頭の写真のように、筋肉バキバキ! ヒーローそのものです。一方で、取材に応じてくれたカルロス・ユーロさんは、童顔で人当たりも柔らかくて、10代の少年のような印象です。普段は優しい印象だけれど、試合となると特別な気合や力が出るのでしょう。

世界選手権で得た、東京オリンピックの出場権についても聞きましたが、
「オリンピックに出場できることは、夢が叶った気持ちでした。でも、出場するだけで満足しているわけではありません」とのこと。
世界大会での実績も積んでいるユーロ選手にとっての目標はすでに、オリンピック出場ではなく、オリンピックでどういった成績を残すかにシフトしているのです。

写真左が釘宮コーチです。現在、帝京大学医療技術学部の助教をされています

写真左が釘宮コーチです。現在、帝京大学医療技術学部の助教をされています

自分の体操を見せたい

現在、カルロス・ユーロ選手は週6日・4時間の練習をしているそうです。
東京オリンピックに向けては、自分のベストなコンディションで臨み、いい経験にしたいとのこと。
これまでに支えてくれた、支援組織、JOC、練習のサポートをしてくれた人たち、コーチ、家族、日本とフィリピンの体操協会、学校、それぞれへの感謝の気持ちを持って準備しているとのことでした。

そして、オリンピックでは、「自分の体操」を見せたいと話してくれました。
「コーチとトレーニングで積み上げてきた、ひたむきな姿を見せたいと思っています」
と語ってくれました。

帝京大学八王子キャンパスです。図書室に『指さし会話帳』も収蔵されていてうれしかったです

帝京大学八王子キャンパスです。図書室に『指さし会話帳』も収蔵されていてうれしかったです

取材を終えての感想:素顔の童顔と、試合のギャップがすごすぎる

正直なことを言うと、取材を申し込んだ時点では甘く見ていました。
体操ニッポンを見てきた世代からすると、フィリピンの体操選手って何?と思うところもあったのです。
でもその後、いろいろ調べていくと「カルロス・ユーロ選手すごい! すごすぎる!」と思いました。

そんなこんなで迎えた取材当日、モニター越しに現れたユーロ選手は、童顔で穏やかで、優しくて真面目で丁寧でした。
「世界大会でも金メダル取って、偉そうな感じかと思ったけど、全然そんなことない。一体どうなってるの?」
そのギャップが非常に印象的でした。
普段の、ものすごく普通で穏やかな印象と、大会で見せるような戦闘態勢バキバキな印象!
このギャップの大きさこそが、一流の証なのかもしれません。かっなり衝撃的にギャップが大きかったです。

ユーロ選手は、インタビューの最初から最後まで、「東京オリンピックが開催されてほしい」と発言をしたことはありませんでした。
開催された場合に「自分の体操」を見せたいと語ってくれただけです。

選手たちそれぞれは、いろんな思いや経緯を抱えて、オリパラに向けて準備しています。
その選手たちが競う姿を見てみたいものです。
内村航平選手や白井健三選手とカルロス・ユーロ選手が同じ会場で競っている。その隣で釘宮コーチが補助している。。。。
そういう場面を、東京オリパラで見てみたい、そう思いました。



私ども、情報センター出版局では、さまざまな自治体・企業様からご依頼をいただいて、外国人対応用の指さし会話ツールを作成しています。

2020年秋以降、オリンピック、パラリンピックに向けての案件をご相談いただくことが増えております。
その制作過程では、外国人を迎える様々な立場の方とお話しする機会がありますが、痛感するのは、コロナ前に検討されていた想定が大きく変わってしまったこと。
来日する選手、役員、関係者、観客、それぞれにどんな対応をするべきなのか? そもそも、何をどこまで検討すべきなのか? 手探りの場合が多いようです。開催の規模も形も、どんなものになるかわからないので当たり前ではあります。
そこで、少しでも、現場で外国人対応を担っている方のヒントになることがあればと、様々な現場で見聞きしたコロナ対応のレポート、担当の方のインタビューなどを掲載していきたいと思います。
※制作支援についてはこちらをご参照ください。 ▶コロナ禍の今こそ「指さし会話」でコミュニケーション支援

▶ コロナ禍のオリパラを考える(2020年11月より記事更新中)


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